八字とMBTI:二枚の地図を並べた夜
懇親会のアイスブレイクでみんなが即答したMBTIを、私は覚えていなかった。その夜、母が生まれた年に書いてもらった八字の命盤を引っ張り出し、スマホのMBTI結果と並べてみた。二枚の地図から、三つのことが見えた。

先週、会社の懇親会でアイスブレイクをしました。最初の課題は自分のMBTIを言うこと。テーブルを囲んだ十二人のうち、十一人は即答でした。「私はINFJ」「ENTPです」「あなたはi人?e人?」。私の番になって「あまり覚えていないんです」と言ったら、まるで宇宙人を見るような目で見られました。
帰り道、ずっとそのことが頭に残っていました。
私にも「取扱説明書」が全くないわけではないのです。それよりずっと古いものがあります。生まれた年、母は人に頼んで私の八字を批いてもらい、赤い紙に書いて四つに折り、戸籍の入っている引き出しにしまいました。八つの字と、私にはよく読めない文がいくつか。数年前の年末の大掃除で見つけて、写真に撮って残してあります。
その夜はお茶を淹れて、二つのものを机に並べました。スマホの中のMBTIの結果と、あの赤い紙の写真。二枚の地図を広げて照らし合わせるように。
そこで見えたことを書きたいと思います。
まず、八字とは何か
八字を怪しげな占いだと思っている人は多いのですが、もともとは時間を記録する方法です。生まれた年・月・日・時を、それぞれ二つの字で表します。天干ひとつ、地支ひとつ。四組、合わせて八字。だから「四柱八字」と呼ばれます。
たとえば甲子の年、丙寅の月、戊午の日、壬子の時に生まれた人なら、この八つの字の中に五行の分布が隠れています。木がいくつ、火がいくつ、金がいくつ、水がいくつ。昔の人はこれを読むとき、漢方医が舌を見るように読みました。運命が決まっているかどうかではなく、「体質」、その人のエネルギーの偏りを見るのです。
木が多い人は伸びやかで、強情で、上へ上へと育つのだと。水が多い人は流転して、機転が利いて、しかし落ち着かないとも。信じなくていい。ただ、この言葉が語ろうとしていること自体には味わいがあります。人は誰も白紙では生まれてこない。生まれたときから、ある「配合」を抱えている——そう考えているのです。
次に、MBTIについて
MBTIも実は新しくありません。第二次大戦の頃、ユングの心理類型論をもとに、母娘が作った質問紙です。四つの軸。外向か内向か、感覚か直観か、思考か感情か、判断か知覚か。四文字の組み合わせで、十六種類の人間。
利点は速さです。二十分の質問、四文字で、自分の所属が見つかる。今の若い人たちにとってMBTIは、ほぼ新しい星座です。「INFJはレア」「ENTPは議論好き」「i人は飲み会に行きたくない」。
職場の若い同僚には、本当にこの四文字で自分を理解している人がいます。
その夜、気づいた三つのこと
一つ目。MBTIはスナップショット、八字はネガのようなもの。
MBTIが測るのは「今のあなたがどう答えやすいか」です。仕事で疲れて落ち込んでいるときは内向寄りに出るし、半年後に調子が良くなれば文字は変わる。現在の状態の一枚の切り込みです。
八字は、今月の調子など気にしません。生まれた瞬間の天の時だけを記録して、こう言います。あなたはだいたいこんな配合で、こんな偏りだと。写真のネガフィルムに近いと思います。人生はその上にゆっくり現像されていくものです。
どちらが正しいかは言えません。ただ、「ネガ」という発想には不思議な優しさがあります。最初から抱えて生まれてきたものがあることを、認めているのです。
二つ目。居心地の悪さを感じたのは、ラベルの力について。
友人にINFPと出た人がいて、それ以来まるで身分証明書のように扱っています。「私はi人」がすべての理由になった。飲み会を断るのもi人だから。あの役職に立候補しないのも、i人は目立つ場に向かないから。レストランで店員を呼ぶことすらできない。i人は恥ずかしがりだから。
彼女を記述していた四文字が、少しずつ彼女を規定するものになっていきました。
八字の側にも、まったく同じ問題があります。ただ言い方が違うだけ。ある先生は脅します。「水が足りない、水槽を買いなさい」「今年は太歳を犯している、何か請けなさい」。傾向を語るはずの図が、判決文として読み上げられる。
その夜わかったのは、二つの体系の本当に危うい場所は同じだということです。人は地図を地形そのものと取り違え、記述を運命と取り違えてしまう。
三つ目。八字にはMBTIにない言葉がある。「大運」です。
ここは好きなところです。八字では、人は固定されていません。十年ごとに大運が替わり、異なる場を流れていきます。若い頃の運と中年の運は違う。同じ八字でも、三十歳と五十歳では違う生き方になる。
その世界観は流れています。あなたは「あるINFP」ではなく、変化の途中にあるひと切れの時間なのだと。
MBTIだって変わることを認めてはいます。でも流行の中では誰もそう使っていない。四文字は一度貼られると社交の通貨になって、簡単には替えない。赤い紙の写真を見ながら思いました。八字は少なくとも正直に教えてくれる。自分への結論を急ぐな。あなたはまだ、その運に入っていない、と。
正直に言うと
八字がMBTIより「上等」だとも、その逆だとも思いません。片方は古代の中国人が天干地支で時間を記号化し、生まれた時刻から人の偏りを読もうとしたもの。もう片方は前世紀の心理学者が質問紙で性格を分類したもの。どちらも同じ問いに手を伸ばしています。私は誰で、なぜ私はこの形をしているのか。
そして、つまずき方も同じです。どちらも厳密な科学ではなく、どちらも濫用されやすく、人は最も迷っているときにちょうど差し込まれてくる。不安であるほど、確かな答えを掴みたくなるからです。
母があの年、私の八字を頼んだのは、突き詰めれば母親の心配でした。この子の一生は、うまくいくかしら。今の若い人が何度もMBTIを受け直すのは、あれほど違うでしょうか。私みたいな人間は、どう生きるのが合っているのか。
千年前は赤い紙でした。今はスマホの画面です。人の心はあまり変わっていない。
その夜、お茶はかなり薄くなりました。赤い紙の写真をしまって、MBTIを受け直すこともしませんでした。
二枚の地図は広げてみました。地図は役に立ちます。でも歩くのは、自分の一歩です。どちらがあなたをよく知っているのか。知るということは、もともと地図の仕事ではないのかもしれません。
ここまで読んでくれたあなたに、三つの問いを。
- ラベル(MBTI、星座、八字、あるいは「内向的」「優柔不断」)に定義されて、いつの間にかその通りに生きてしまっていた時期はありませんか。
- 八字は十年で大運が替まると言います。あなたが最後に「別人のようになった」のは、何年くらい前ですか。今のこの運では、何を歩いていますか。
- 結局あなたが欲しいのは「確かな答え」ですか、「流れる説明」ですか。


