
仏教ノート
窮子喩:あの家出した人は、実は一度も遠くへ行っていなかった
法華経の窮子喩は、迷子になった子が五十年間さまよい、父親がずっと待っていたことを知らない物語です。この物語を読んで、あの貧しい息子は私自身だと気づきました。
2026/5/78分
思いついたことを書いています。ある時は読んだ話、ある時は数珠を手にして浮かんだこと。

法華経の窮子喩は、迷子になった子が五十年間さまよい、父親がずっと待っていたことを知らない物語です。この物語を読んで、あの貧しい息子は私自身だと気づきました。

白隠禅師はある子どもの父親だと濡れ衣を着せられました。彼は弁解せず、ただ「そうですか」と言いました — この三つの言葉が、非難と誤解に対する向き合い方を変えてくれました。

広州に強い風が吹いた日、窓の外の旗がパタパタと鳴っていました。千三百年前の法性寺で、風か幡かを争う二人の僧の話を思い出しました。慧能は言いました。風が動くのでもない、幡が動くのでもない、仁者の心が動くのだと。若い頃は唯心論だと思っていましたが、今はもっとシンプルなことだと分かります——苦しみの原因は外のできごとではなく、心の応え方なのです。