月面着陸の前、NASAは宇宙飛行士に「月にいる嫦娥と兎に気をつけて」と伝えた
1969年、月へ向かうアポロ11号に、ヒューストン管制は本当に「嫦娥と兎に注意」と伝えた——記録は今もNASAのアーカイブに残っている。中秋節前に、月に住む女の物語を最初から。彼女が手にしたのは永遠、失ったのも永遠だった。

スーパーで月餅が山のように積まれているのを見て、中秋節が近いことに気づいた。
今年の中秋節は9月25日。あと五日だ。
毎年この時期になると、母は月餅の準備を始める。母には一つ譲らない流儀がある。五仁月餅を一箱は必ず買うこと。祖母が生前、五仁しか食べなかったからだ。もう五仁を食べる人はいない。それでも母は毎年買う。今年ふと思った。あるものは、食べるために買うのではなく、覚えているために買うのだ、と。
今日書きたいのは、月餅の話ではない。1969年のある対話の話だ。
一
1969年7月、アポロ11号の飛行中。宇宙船は地球と月の間を進み、飛行士たちは日常の点検をしていた。そこへ、ヒューストンの管制官ロナルド・エヴァンスが、突然マイクに向かって何かを読み上げ始めた。
彼はまるで公式の通知を読むように、真剣に読み上げた——後で分かったことだが、実際に公式の通知だった。その記録は今もNASAのアーカイブに残っていて、誰でも見ることができる。
「今朝のアポロに関する大きなニュースの一つに、大きな兎を連れた可愛い娘に注意を促すものがあります。古代の伝説によれば、嫦娥という美しい中国の娘が、四千年もの間そこに住んでいるといいます。夫の不死の薬を盗んだため、月に追放されたのだとか。彼女の連れの大きな中国の兎にも注目してください。always 後ろ足で立って、桂皮の木の木陰にいるので、すぐ分かります。兎の名前は記録にありません。」
飛行士マイケル・コリンズの返答も、記録に残っている。
「了解。その兎の娘さんをしっかり見張っておきます。」
これを初めて読んだとき、私は笑った。それからしばらく座り込んで、目が少し熱くなるのを感じた。
人類が初めて月へ行ったとき、四千年前の中国の名前を連れて行ったのだ。しかも間違えていなかった。不死の薬、追放、月、兎、桂皮の木。話の骨子は、ほぼそのまま残っていた。
ただ一つ、引っかかる言葉があった。「追放された」という部分。
追放とは、罰のことだ。四千年の間、嫦娥が月にいることは、一種の罰だと思われてきたようなのだ。
二
まず、物語を最初にしっかり聞いてほしい。
大昔、空に十の太陽が一度に昇った。作物は枯れ、川は干上がり、人は日陰にいても灼熱から逃れられなかった。そこに羿(げい)という名の弓の名手が現れ、弓を引き絞って九つの太陽を射落とした。世界は救われた。
羿は西王母から不死の薬を授かった。それを飲めば、天に昇って仙人になり、二度と死なないという。
その後何が起きたか——最も古い記録は、実に容赦がない。『淮南子』には一行だけ、「羿は西王母に不死の薬を請うた。姮娥(嫦娥)はこれを盗んで月に奔った」とある。「盗んだ」。彼女は薬を盗み、自分で飲み、月へ飛んだのだ。
さらに古い『霊憲』には、もっと酷い記述がある。月にたどり着いた彼女は、ヒキガエルに変わってしまった、と。
ヒキガエルである。
この記述に初めて接いたとき、私は長いこと言葉を失った。どうして? なぜ物語は彼女にそんな仕打ちをしなければならなかったのか。
その後も人々は同じ問いを抱き続けたらしい。そして世代を重ねるたびに、物語は静かに書き換えられていった。今もっとも広く語られる版本はこうだ。羿には蓬蒙という弟子がいた。羿が狩りに出た隙に、蓬蒙は家に押し入り、嫦娥に不死の薬を渡すよう迫った。追い詰められた嫦娥は、薬を悪者の手に渡すまいと——一口に飲み込んだ。たちまち体が軽くなり、窓から宙に浮かび、空へ昇っていく。夫のもとを離れるのが忍びなく、彼女は力を振り絞って、地上に一番近い場所——月——へ飛び、そこにとどまった。
帰宅した羿は事情を知り、庭を駆け回った。だが月には、どうしても届かない。彼は彼女の好きだった果物を庭に並べ、遥かに供えることしかできなかった。のちの人々もそれに習って、八月十五日の夜、月光の下に果物を並べるようになった。
この版本でいちばん心を打つ改変は、彼女が「薬を盗んだ詐欺師」から「みんなのために薬を守った人」になったことだ。薬を飲み込んだのは裏切りではなく、守るためだった——ただし、その守りの代価は、彼女自身だった。
ヒキガエルに変わるという最初の結末は、もうほとんど誰も語らない。理由は分かる気がする。身代わりに傷を負ってくれた人を、ヒキガエルのままにはしておけないのだ。
神話とは、忍びないという気持ちによって、世代を超えて少しずつ優しく書き換えられていくものなのだ。
三
彼女の月での住まいは、広寒宮と呼ばれる。
広寒——広くて寒い。この名前そのものが、物語の答えのすべてだ。
「永遠」を手に入れて、その代価は「永遠にひとり」。不死はご褒美ではなく、流刑だった——NASAのあの管制官が「追放された」と読み上げたとき、彼は実は正しかった。
とはいえ、月には彼女ひとりではない。白い兎がいて、ずっと薬を搗(つ)いている。搗いているのはあの不死の薬——杵と臼で、一下一下、数千年、搗いても搗いても終わらない。
そして呉剛という男もいる。仙道の修行中に過ちを犯し、罰として月に送られ、桂皮の木を伐ることを命じられた。その木は五百丈もあり、さらに困ったことに、斧を打ち込むと傷がすぐに塞がってしまう。木は永遠に伐り倒せない。
月の住人は三人。ひとりは永遠に孤独、ひとりは永遠に薬を搗き、ひとりは永遠に木を伐る。
昔の私は、これらの物語を荒涼としたものだと思っていた。今は思わない。
やるべきことリストは永遠に終わらず、メッセージは永遠に返しきれず、家のローンは永遠に払い終えらず、仕事は永遠に続く——私たちはいつの間にか、月の住人のような暮らしをしているのではないか。終わらないことの中で、日々、少しずつ、生きていく。
違いがあるとすれば、こうかもしれない。兎が搗く薬は、伝説によれば、人の病を治すためのものなのだ。
四
2013年12月、中国の月面車が月に着陸した。その名は「玉兎」。
数千年、薬を搗き続けた兎が、月に帰ってきたのだ。嫦娥3号に同行し、着陸地点の周辺一帯は、2015年に国際天文学連合によって正式に——広寒宮と命名された。
記録の中に名前があった。そして今、星の上にも名前がある。
玉兎の設計寿命は三か月だった。だが月面で972日間働き続けた。2016年7月31日、玉兎は静かに動かなくなった。
玉兎には自分のアカウントがあり、いつも一人称で語りかけていた。動かなくなる前の晩、二文字を投稿した。
「晩安(おやすみ)。」
その投稿に、何十万人もの人がコメントを残した。「兎ちゃん、おやすみ」「お疲れさま、ゆっくり眠って」。泣いたという人も大勢いた。
もちろん、あれは機械だった。それでも、あの晩、月で消えたあの灯りは、四千前に点された名前を確かにともしていたのだ。
嫦娥は月へ奔り、玉兎は薬を搗く。そのどちらもが、宇宙機の名前になった。神話は本の中で死ななかった。何度でも、本気で、空へ昇っていった。
五
ここまで書いて、外は暗くなった。
階下を散歩した。月はまだ満ちていない。小さく欠けていて、誰かにかじられた月餅のようだ。それでも、もう十分に美しい。
私は階下で、長いこと月を見上げていた。李白の句を思い出す。「今人は古時の月を見ず、今月、かつて古人を照らしたり」。今夜私たちが見上げた月は、嫦娥が見上げた月であり、羿が庭でどれだけ背伸びしても届かなかった月であり、コリンズが「兎の娘に注意」と冗談を言った月であり、玉兎が眠りについた月だ。
同じ月だ。誰にとっても同じように丸く、同じように遠い。
今年の中秋節は9月25日。その夜、もしあなたが空を見上げたら、こう思ってほしい。あそこには、中国の人々が数千年数えてきたとおり、「永遠」を私たちの代わりに試した女の人が住んでいて、そして、眠ろうとしない兎が一匹、彼女に付き添っている、と。
月餅はなぜ丸いのか。大人たちは、団円(団らん)の意味だという。
けれど今の私は、この物語でいちばん尊いのは団らんではなく、寄り添うことだと思う。どれほどひとりでも、兎は一匹、そばにいてくれる。一万年薬を搗こうと、そばにいてくれる。
人が本当に必要としているのは、もしかすると「永遠」ではなく、「そばにいること」なのかもしれない。
ここまで読んでくれたあなたに、三つの問いを。
- 「永遠に生きられる」代償が「愛する人を永遠に離れること」なら、あなたはその薬を飲むだろうか?
- 「永遠に終わらない」けれど、それでも毎日少しずつやりたいことが、あなたにはあるだろうか?
- 今年の中秋節、誰と一緒に月を見たいだろうか?


