
気づき
汝魚にあらず:濠水の橋に立って、荘子がわかった気がした
荘子は魚が楽しいと言った。恵子は汝は魚ではないと言った。橋の上に立ってやっとわかった——慈悲と知恵の間に、橋がある。
2026/6/78分
思いついたことを書いています。ある時は読んだ話、ある時は数珠を手にして浮かんだこと。

荘子は魚が楽しいと言った。恵子は汝は魚ではないと言った。橋の上に立ってやっとわかった——慈悲と知恵の間に、橋がある。

「歓喜」という名の夜叉は、自分の子を養うために他人の子を食らっていました。仏陀は彼女を退治せず、ただその痛みを自分で感じさせたのです。愛の広さについての物語。

罵りに来た人に、ブッダは言った——この贈り物は受け取りません。怒りと、応答と、心の自由についての物語。

荘子は魚が楽しいと言った。恵子は汝は魚ではないと言った。橋の上に立ってやっとわかった——慈悲と知恵の間に、橋がある。

少し前、公園を散歩していて、一本の古いエンジュの木の下に立ち尽くしました。葉はまばらで、幹はぐにゃぐにゃしていました。でもただそこに立って見上げていると、心が静かになりました。後になって思い出しました。荘子のあの話——大工が使い物にならないと言った巨木が、千年を生きてきたのは、まさにその無用のおかげだったという話。

昨夜、夢を見た。自分が蝶になった夢。目が覚めてから二千年前の荘子を思い出した——彼も同じ夢を見て、それから二千年間言い継がれてきた問いを口にした。私が蝶の夢を見ているのか、蝶が私の夢を見ているのか。

今朝、ほとんどぶつかりそうになって、荘子の空舟のことを思い出した。私の怒りはすべて「向こうに人がいる」という思い込みの上に成り立っていた。